2019/04/12 13:54

2018年1月、それは突然やってきた!
「絵を描きたい!」
「猛烈に絵を描きたい!」



こんにちは。Hajimaru Art アーティストの鈴木久美子です。

今日は自己紹介の記事です。



私は武蔵野美術大学 視覚伝達デザイン学科でグラフィックデザインを学びました。
卒業後は、20年以上に渡り、グラフィックデザインの仕事をしていました。

私が本格的に抽象画作品を作るようになったのは、2018年の1月から。
まだ1年ちょっとです。

とはいえ、美大受験の予備校などでは1日8時間ほどデッサンや
平面構成などを描く日々を送っていたんですよね。
ムサビ在学中も絵画の授業ももちろんありました。

子どもの頃から、モノをつくること、絵を描くことが好きだったんです。

それなのに、卒業後、グラフィックデザインの仕事についてからの
この20数年の間、絵を描いたり、アート作品を作ることをね、


なぜか、



ずーーーーーっと自分に禁じて、封印してました。


もはや、絵を描きたいだなんて、全然思いもしなかった。



笑われると思ってたんです。
デザインとアートを混同してるデザイナーって痛いよねって。


私はデザイナーなんだから、絵なんか描いちゃダメ。
アートとデザインは全然違うんだから。
「私はちゃんと分かってる。デザインの本質が何かを。アートとの違いを。」
だから、アート作品なんて作らない……。

という、謎すぎる自分ルールで
絵を描くこと、アート作品を作ることを自分に禁じてたんですね。



とにかく人目ばかり気にしていた以前の私は、
『私デザイン分かってます風』を装いたくて、デザイナーとして舐められたくなくて
自分自身を表現するようなアート作品を作ることなく、
長い時を過ごしてしまったのですね。


まあ、怖かったんですよね。
周りに優秀な人多かったし。
自分より絵の上手い人なんて、いっぱいいるし。
自分は絵がヘタなんだと思ってたし。


でもね、そもそも子どもの頃から絵を描いたり、モノを作ったりするのが大好きだったから
美大に入ったんですよ。
そういう大事なとこを忘れてたなーと思いましてね。

というか、

絵を描きたい衝動に、
もう、

やられましてね。

いや、もう何も考えずに描き始めてたワケなんです。


それが2018年の1月からです。
芸術は爆発です。
それはあまりに唐突に。

封印が解けちゃったんですね。
ま、自分でかけてたワケなんですけどね。
自作自演感、半端ないですね。


アルコールインクとの出会いも大きかった。
Hajimaru Artのウェブショップに掲載されているアート作品は
ほとんどがアルコールインクで描かれたものです。

アルコールインクは、ユポという水の染みない合成紙の上で
予想外の動きをしたりするので
面白くてハマったんですよね。

見た事のない色の混ざり方。見た事ないインクの動き方。
それらが本当に美しくて、
全然思った通りの効果を狙えなくて、もどかしくて、

ハマってしまった。

攻略できないゲームみたい。



朝、絵が描きたくて目が覚める。
そのまま紙に向かい、顔も洗わずおもむろに描き始める。
気が済んだところでようやく
あ、そうそう、そういえば歯も磨いてなかった
といってやっと顔を洗いにいく。

そんな生活に、いつの間にかなってました。

好きなこと以外、基本ポンコツです。
多分、一緒に暮らしている夫にはだいぶ迷惑かけてる。

でも!
好きなことに思いっきりハマるってホント幸せなこと。

「もう、好きなことしかしたくない!」


これが魂の叫び。



人生そこそこ長く生きてきたので
もう人間の力ではどうにも出来ないような
深い悲しみも経験しました。

最愛のまだ幼い息子を病気で亡くしたんです。

本当に人生って理不尽だな、と思いました。

息子を病気で亡くした後、
自分が生きているのか死んでいるのか
自分でも、もうわからない状態で
10年近くを過ごしました。まるで沼の底にいるような気分でした。

私はなんでまだ生きているんだろう?
そう思ってました。

でも、ようやく
その問いに答えが見つかったんです。

私には表現したいことがある。
だから今、生きている、と。



息子がなくなった後、自分の体が半分なくなってしまったような気がして、

私にはもう、何もない。
これ以上の絶望はない。

そう思っていたけど、

半分なくなってしまった、ということは

半分は、
『ある』じゃないか、と。

息子は今や、光となって自分の中に『ある』と
やっと腑に落ちたんです。

息子の存在が消えて無くなることは永遠にないのだと。
私の中で、光となってそっとそこにいるのだと。

そして、私の中でそれは、初めは小さな小さな光だったけど
今は輝くばかりの大きな力強い光となって
私の中から溢れ出してきたんです。


私はその光を表現したい。
溢れ出てきた光は
命そのものであり、
私の分身であり、
私の子ども。

そして、私はいくらでも生み出すことができる。


命の光はなくなったりしない。永遠に。
私の中で消えてなくなったりしない。
私の肉体がこの世からなくなってもきっと
引き継がれていく。

私は命をいっぱいに輝かせて生きていきたい。

生きることは表現すること。
表現することは生きる力となる。


そして、絶望を味わったからこそ
今は、
人生は喜びのためにある、と思えるようになりました。


命いっぱいに表現する。
楽しむ。味わう。
自分の感覚に集中する。

純粋に、自由に、好奇心のおもむくまま
感覚に集中して紙の上に出していく。
そうしていると、私が子どもの頃に感じていた感覚が
どんどん蘇ってくるんです。

お腹の底から命が沸きあがるような何か。

それは、とても純粋な
根源的な喜びなのかもしれません。

言葉にならない何か。
目には見えないけど
確かにそこにある命の光を
絵で伝えたい。

それを見ると
ホッとするもの、
心地よさを感じさせるものを描きたい。

それを見ると
イマジネーションが掻き立てられて

一枚の平面の中の世界が、まるで宇宙かのような質量を持っていて
その中に存在しているようなものを。

まるで一本の映画のようなストーリーが展開されるようなものを。

まるで、
こんこんと湧きいづる泉のような
尽きることのない豊かさを感じるものを。

私が好きなもの、私が見つけた美しいものを
描いていきたい。

喜びを表現し、
喜びのさなかにいたいのです。

命の躍動。

私にとって描くとはそういったこと。

そうやって、好きなものにまみれて暮らせば良いと思っています。



誰かの許可はいらない。
誰かのせいにするのはもう終わり。
自分を恥ずかしいと思うのはよそう。
好きなら好きを表現しよう。

私は自由だ。

生きることは表現すること。
人生はアートだ!